働くこととはなにか

働くことについて、

社会人5年目が日頃から思っていることをかなり頑張って文章にした。

(思考を文章に落とし込むってとても力のいる作業だ。)

 

結論、今やっている仕事=ベーシックインカムを得る手段

と思って日々働いている。

 

コロナによって在宅勤務が進んでいる中、

オフィスでしかできない専門事務を出社して淡々とこなすことは、

本当の意味で”働く”ではないのではないか。

 

数十年前までは人間の”働く”の中に、

事務や庶務というものが中心にあって

胸をはって自分の仕事はこれだと言えたのだろう。

 

一方で現在はコロナという未曾有の事態も影響して、

信じられないスピードで目の前の仕事だと思っていたものが

”仕事”ではなかったことが露呈されている。

もっと工夫すれば効率的に業務ができて、

人材をそこに配置しなくても成立する世の中になっている。

(少なくともわたしの部署はそういう状況。)

 

4年目まではまだわからない業務があったから、

本質的な問題意識は薄かったけれど

今までやってきたことを振り返ってみると、

私じゃないとできなかったことってとても少ないように感じた。

 

人間はロボットじゃないから

いろんな志向や性格を持っている。

それが集合したらある程度似ているひとには出会えても

基本的には違う人間同士。

いろんなパターンの人生を歩んでいて、

ひとりとして同じ人生はない。

だからある人は作家を目指すし、ある人はスポーツ選手を目指す。

ある人は銀行員になって、ある人はカフェ店員になる。

 

でも人間の時間はほぼ平等だから、自分の時間では習得できない知識や経験がある。

 

それを補うのがお金を払って読む小説や外食、スポーツ観戦。

できないこともあるけれど、違う形でインプットする。

仕事内容自体は違えどそれは社会の中に無数にある役割から、

その役割を選んだだけ。

 

その役割で得た報酬を

違う役割のひとに渡しているだけ。

 

だからどんな仕事をしているかに関して

本来周りの目って関係ないと思う。

 

大企業だから偉いわけでもなく、

スタートアップだから常に不安がつきまとうわけでもない。

 

 

仕事について悩むのって暴論かもしれないけれどあまり意味のないことなのかも。

もちろん精神面に悪い影響を及ぼして、

そのひと自身の体調や関係するひとたちにも影響が及ぶ時は

解決策を考えた方がいいとは思うけど

 

仕事は単純に社会の中でのひとつの役割で、

得意だったり好きだったらもちろん続ければ良いし、

どう頑張ってもうまくいかなかったり、やっている意味を見出せなくてつらいなら

変えていいんだと思う。

 

 

もちろん仕事を、”ベーシックインカムを得るためだけの手段”

だと思って働くこと自体は、まだ若いわたしにとっては全くもっていいことではない。

 

働き盛りの年齢に、仕事に対してエネルギーをさけず

目の前の賃金にすぐに反映してこない。

なかなかモチベーションを保つのが大変だった。

 

だからこそ余計な残業はしない。

仕事以外の時間は人一倍コントロールし、

いろんなところに行っていろんなひとと会話をして、

読書や映画、絵画鑑賞などを通して知の探究をしていきたい。

 

こうやって頭の中でぐるぐるしている思いを外に出す訓練を重ねて、

一朝一夕には身につかない文章力をあげていきたい。

 

自炊もたくさんして、死ぬまでにより多くの料理に出会いたい。

 

つまり働くことは豊かな人間をつくるための

大切な手段のひとつなのだろう。